カッコ悪い自分に捧ぐ

都内で働くOLが日々考えていることを綴るブログ。カッコ悪い自分をさらけ出すのは勇気がいるけど、ありのままで生きていきたいなと思ってます。

母親との決別

書きたいことが早々に尽き、

ブログを更新しなくなってから2年が経ってしまった。

 

その間にコロナになった。

自粛期間中はゲームにハマって、1日10時間やっていた日もあった。

 

でも、コロナも3年目。

通常の生活が徐々に戻ってきている。

 

ここ3か月くらいで、心境に大きな変化があった。

今年の6月、とうとう私は「ありのままの自分」を認めはじめた。

 

私は、仕事ができない。

もっと正確に言うと、要領良く仕事ができない。

つまり、バリバリ仕事をこなすカッコいい女性では決してない。

 

友達も少ない。

結婚式にたくさんの人を呼びたかったけれど、

呼べる友達は数人しかいなかった。

その数人の友達には感謝してもしきれない。

 

家事もろくにできない。

掃除が嫌いでめったにしない。

大雑把な性格で、料理もたびたび失敗する。

 

ああ、自分ってレベル80を目指してたけど、

実際はレベル30くらいじゃないか。

そんな私が80を目指してたなんて、無理がある。

 

でも、いいじゃないかレベル30で。

何も困ってないよ。このままでいいじゃん。

やっとそう思えたのが、今年の6月だ。

ずーっと理想の自分になれないことを悩んできたが、

なんだか急に、それが吹っ切れたのだ。

 

そして他にも気づいたことがあって、

夫に対して抱いていた感情、例えば

「嫌われるのが怖い」

「言いたい事が言えない」

「離婚されたらどうしよう」

などという気持ちが薄れていて、

いつの間にか、

私は夫に自由に意見を言えるようになっていた。

 

今月に入って、私は決意した。

もしかして、今ならば、母に向き合えるのではないか。

ずっと言えなかったことを、母にしっかり伝えられるのではないか。

よし、母と本音で話そう。

今まで嫌だったこと。ずっと恨んできたこと。

それらをぶつけると同時に、

本当はずーっと寂しかったこと、

もっともっと優しくしてほしかったこと、

お姉ちゃんではなく名前で呼んでほしかったこと、

いっぱい怒られて悲しかったこと、

それでも期待にこたえたかったこと、

どうにかしてお母さんに幸せになってもらいたかったこと。

全部、全部、伝えようと思った。

 

母が私の話を聞いて、

はぐらかそうとしたり、

表面的に謝って済まそうとしたり、

言い訳をしようとしたり、

拗ねたり怒ったりしたとしても、

動じずに向き合おうと思えた。

 

来週の日曜日に母とサシで話す約束を取り付けた。

 

以前、母に本音を伝えようとして、向き合おうとして、

定期的に電話をかけていた時期があった。

でも、上手く話せなかった。

母は、戦闘態勢のような私の態度を、

電話越しに敏感に感じ取っていて、

何を言われるのかと怯えていたのだろう。

つっけんどんな態度をとられて、先に私の心が折れたのを覚えている。

 

でも、あれから何年か経って。

母の環境も大きく変わった。

4人の子供は全員家を出て、孫もできた。

 

60歳を目前にした母は、時間や心に余裕ができたのか、

ずいぶんと丸くなった気がする。

今ならば、私の話を受け入れてくれるかもしれない。

 

でも、受け入れてもらえなくてもいい。

母に本音を言うことが目的だから。

どんな態度を取られてもかまわない。

かなりキツいことも言うつもりでいるから、

母には怒ったり拒否したりする権利がある。

 

それでもいいと、やっと覚悟が決まったのだ。

母に嫌われてもいい。

実家を出禁になってもいい。

それでもいいから、伝えるんだって。

 

うっすら母を憎みながら生きるのは、もう嫌だ。

表面的には仲良くしているから、

それって、陰で悪口を言う少女みたいだなって。

言いたいことがあるなら、本人に言うべきなのだ。

 

それから、夫が子どもを持ちたいと言ったことも大きい。

私の年齢を考慮して、夫が「そろそろ考えてもいいかも」と言ってきた。

私も、子育てに興味はあるのだ。自信がないだけで。

子どもをもつなら、なおさら母との問題は終わらせておくべきだ。

 

来週の日曜日、私は母と決別する。

ちゃんとけりをつける。

母のことを純粋に好きでいるために、一度ちゃんとぶつかる。

 

上手くいくだろうか。

でも、全部伝えなければ。

そう、「できるかな」じゃない。「やってやる」のだ。

やり切ってみせる。

 

いままで30年くらいかかえてきたもやを晴らす絶好のチャンスなのだ。

絶対にモノにしてみせる。

そして、自分の人生を切り開くのだ。

 

 

泣き虫でウザくて

私は、すぐに泣く子どもだった。

 

泣くことで、構って欲しいオーラを周りに振り撒く、

超絶鬱陶しい子どもだった。

でも、そうする事でしか周りの気を引く方法を知らなかった。

 

4人姉妹の長女だった。

3歳で最初の妹が産まれて以降、私が中心の世界ではなくなった。

妹の面倒は良く見たし、家のお手伝いもまあまあしていた方だったと思う。

パッと見は母親をよく手伝う良いお姉ちゃん。

周りも母親も自分自身も、そう信じて疑わなかった。

 

だけど、大人になって、心の成長が全く追いついていない事に気がついた。

私はいつまでも構って欲しがりで、

怒ったり泣いたり拗ねたりする事で、

人の注目を浴びようとする癖が抜けなかった。

 

些細な事で傷つき、友達もあまり出来ず、

依存的な恋愛をしていて、

とうとう生きているのが苦しくなってしまった。

 

毎週月曜日の朝、駅のホームで電車を待っているとき、

このまま飛び込んでしまったら楽になるのだろうか、

死にたいなと、割と本気で考えていた。

でも、そんな勇気あるはずもなかった。

 

心理的な欠陥を認めてカウンセリングを受け始めて、

やっと自分に目を向けられるようになった。

 

自分の幼い言動が、

子ども時代に十分に甘えられず、本音を出せず、

親にビクつきながら暮らしていたことが原因と分かった。

そして、それを癒す方法も。

 

最初は両親を恨んでいたが、それも乗り越えた。

両親には両親の事情がある。

私ももし子育てをするようになったら、きっと実感するのだろう。

 

私はすぐに泣く子どもだった。

今も泣き虫かもしれない。

だけど、これからは、

本当に泣きたいときに、

自分のためだけに泣くようにしようと思う。

ぐうたら結婚生活のススメ

夫と2人きりの生活は、かなり楽しい。

 

ここに猫ちゃんでもいたら、私は本格的に家から一歩も出なくなるだろう。

 

平日は毎日、仕事が終わったらスーパーに寄って帰宅して、

夕食を作って夫と食べる。

その後は寝るまでフリータイム。

最近の食後の過ごし方といえば、

だらだらとYouTubeを見るか、

ゲームの続きをするか、クロスステッチをする。

食事の後片付けは、気が向いたらやる。

やる気がなければ明日の朝。

夫は平日は何も家事をしないから、

私が食器洗いをサボっても一向に気にならないらしい。

むしろ、毎食「作ってくれてありがと〜」とすら言ってくれる。

 

夫もスマホでゲームをしたり漫画を読んだり、

オンラインで競艇をやったりしている。

私たちは気が向くと、2人分のお茶を入れたり、

冷凍庫から2人分のアイスを取り出したり、

お互いにちょっかいを出し合ったりして、寝るまでの時間を過ごす。

そうしてどちらかが眠くなったら、2人で寝室に向かうのだ。

 

休日はもっと最高で、まず午前中はゴロゴロ寝て過ごす。

お腹が空いたらランチに何を食べるか相談して、ほとんど外食。

お腹いっぱい食べて帰ってくると、

何だか眠くなってきて、夫はお昼寝。

私といえば、一緒にお昼寝することもあるが、

何だか時間がもったいないので、1人でのんびり過ごすことが多い。

夕ごはんはやる気があれば作るけど、

ピザを取ったり、ランチの帰りにお弁当を調達したりもする。

 

2人とも引きこもりだけど、たまにデートに出かけることもあって、

それはそれですごく楽しい。

旅行には滅多に行かない。

疲れるし、何より2人で家にいるのがいちばん気楽で落ち着くから。

 

こんな毎日だから、結婚して何かを制限したり失ったりすることもなく、

相変わらず自由に過ごせている。

毎日が最高すぎる。

いつかは子どもを授かってみたいとは思うが、

今はまだこの生活が続いて欲しい。

家事をきっちり分担するなんて無理

共働きの家庭では、家事の分担が問題になりやすい。

いくら夫と妻が同じくらい働いていたとしても、

妻の方が家事をしている家庭が圧倒的に多い気がする。

 

最近は、テレビなどで「名もなき家事」なんて言葉も聞くようになって、

夫も妻と同じくらい家事を負担すべきだという風潮になってきている。

 

たしかに、育児真っ只中の家庭では、

夫にも家事を手伝ってもらわなければ、家が回らないだろう。

それに、男性が把握できていない細かい家事というのもたしかに存在するから、

その風潮も納得できるものがある。

 

ただ、そんなテレビの特集を見て「もっと家事を手伝わなくちゃ」と素直に反省し、

実行に移せる男性はどのくらいいるのだろうか。

 

我が家は共働きだが、早々に家事を分担することは諦めた。

同じ会社で仕事の内容もほぼ同じだった私たち夫婦は、

結婚した直後は、やはり私の方が家事を多くやっていることが不満だった。

結婚している職場の先輩たちからは「最初が肝心」だと言われていたし、

最初に家事を分担する流れにしないとやばいと焦ってもいた。

私が不満を示すと、夫は「じゃあ食事も洗濯も別でいい」と開き直ったものだ。

これはどうしたものかと思ったが、

無理やりやらせても長続きしないことは目に見えていた。

 

そこで、夫が私に合わせようとしないなら、

私も夫に合わせるのはやめることにした。

 

具体的には、「家事をしなきゃ」という考えを捨てて、

やりやくない時は家事をしないようにした。

特に食事。やる気がある時だけ作った。

洗濯物もいっぱい溜めていたし、

掃除に至っては全くしていなかったから、床に埃が舞っていた。

 

そんな生活を送っていたら、

家の中はとても汚くなったが、

私のストレスは軽減された。

 

また、夫がしてくれていることに目を向けられるようにもなった。

 

夫は、トイレと水回りの掃除だけは、定期的にしてくれていた。

私は結婚してから、トイレと水回りの掃除を一切したことがない。

夫としては、トイレは特に綺麗に保っておきたいのだそうだ。

そうか、本人がやりたい家事を、

やる気があるときにやってもらうのが一番なのだと、

その時思ったのだった。

同時に、「やってあげている」という気持ちでいると恩着せがましくて、

しかも感謝されないとストレスが溜まるが、

「自分がやりたいからやる」という気持ちで家事をすれば、

分担がどうのとか、感謝されているかどうかなんて、

全く気にならなくなることにも気が付いた。

 

その後、関東に引っ越すと同時に、私は残業のない職場に転職したこともあり、

今も月1回のトイレと水回りの掃除以外の家事は、全て私がやっている。

もう「家事をやってあげている」というスタンスではないので、

たまに夫が洗い物を片付けたり、ゴミをまとめてくれたり、

洗濯物を取り込んでくれることがあると、

純粋に思いきり感謝できる。

 

やらされている感覚がないと、むしろやる気を出してくれたりして、

コロナで自粛が続いたこともあり、

最近は、夫が週末に料理を作ってくれる。

私の方も、コロナで少し勤務時間が減って余裕ができたので、

以前よりこまめに掃除をしたり、料理もするようにしている。

 

私たち夫婦は、「やる気のあるときにやる気のある人がやる」という感じで、

家事を分担している。

子どもが生まれるようなことがあれば、

そんなスタンスではやっていけないのかもしれないが、

今のところ、このやり方はとても上手くいっていて、

私は夫に対して「〜してくれない」と思うことは一切なく、

夫婦2人で毎日楽しく暮らしている。

この人には勝てない

妹がいる。

彼女はいわゆる高スペックな人だ。

昔から成績優秀で、超がつくほどの高学歴。

大学卒業後は有名企業で働いていて、いわゆるバリキャリ。

 

容姿も端麗で、せめて性格が悪ければと思うが、

これがまた性格も良いから友人も多い。

 

私も学校の勉強は得意だったが、彼女には何もかも叶わない。

そんな妹は、20代後半でちゃんと結婚して、

先日マンションを買ったのだという。

 

久しぶりに、着実に人生の駒を進めている妹と自分を比べて、

落ち込んでしまった。

 

みんな家を買って子育てもして頑張ってるのに、

私はまだ自分のことだけで精一杯。

 

そりゃあ結婚したいと思っている人からしたら、

結婚しているだけいいじゃないと思われるかもしれない。

だが、上には上がいる。

結婚で悩む人は結婚したら妊娠について悩み、

妊娠したら出産について悩み、

出産後は第2子について悩む。

きりがないのだ。

 

人にはそれぞれ自分のペースというものがある。

私は、今できることをやるだけだと自分を落ち着けた。

妹とは仲が悪いわけではないが、

もし同級生で同じクラスだったら、

きっと仲良くなるタイプではないだろう。

妹はクラスの中心にいるようなタイプだが、

私は地味で大人しい方だ。

服の好みも好きなものも、昔から全然違っていた。

 

一般的には兄弟がいた方がいいと言われる。

小さい頃は1人っ子よりも兄弟がいた方が社会性が身につきやすいとか、

大人になってもお互い助け合えるとか。

 

でも、今は共働きで小さな頃から保育園で過ごす子どもも多いし、

そうすれば社会性なんて自然と身につくだろう。

それに、大人になっても助け合える関係になれるかどうかは、

兄弟同士の仲の良さや相性にもよる。

それに、1人っ子でも友達が多くて社会性のある人を、

私は何人も知っている。

何を隠そう夫もその1人だ。

 

結婚してしまったら特に兄弟とは疎遠になる。

お互いに自分の家庭というものがあるし、

実家への執着も徐々に少なくなる。

今後、妹に何か困ったことがあれば、もちろん助けるつもりでいるが、

もし、私自身が助けが必要になった場合、

妹に助けを求めることはないかもしれない。

 

ああ、妹みたいに健全な心と精神を持ち、

毎日明るく働いて楽しく暮らしていけたら。

もちろん彼女にも苦悩はあるだろうが、

私はもう嫉妬心すら湧かないくらいに彼女に敬服していて、

心から彼女のことが羨ましい。

 

夫と結婚した理由

私の地元は田舎で、山のふもとのような場所にある。

子どもの頃は、鳶職をしていた曽祖父が建てたという大きな家に、

祖父母や両親と一緒に住んでいた。

 

父は仕事が忙しくて、単身赴任もしていたし、

祖母は早くに亡くなった。

だから、専業主婦の母と厳格な祖父、

そして私を含む子どもたち4人での生活が長く続いた。

 

家では祖父が絶対的な存在で、

テレビのチャンネルもご飯もお風呂も、

全部祖父が1番だった。

たまに父がいれば、父が2番。

それは、祖父母と同居する田舎の家庭では、

そんなに珍しい事ではなかったとは思うが、

今思えばかなり気疲れする生活だった。

 

親や祖父母を敬う姿勢が自然と身についたのは良かったかもしれないが、

正直言って、

年功序列という考え方は、もはや今の時代にはそぐわない価値観だ。

 

家では子どもたちや母には何の権限もなくて、

特に母は気難しい祖父に気を遣いながら、

家事と育児の全てを担う生活に、

かなりストレスを溜めていたと思う。

 

母は一度怒ると、手をつけられないほど感情的になった。

普段からいろんな感情を溜めていたからこそ、

それが爆発したとき、

自分でもコントロールできないくらいに、怒りが止まらなくなるようだった。

 

私は、祖父と父だけでなく、母の事も随分と恐れていた。

 

そんな厳格な家庭で育った私は、

自由で風通しの良い家庭に憧れた。

気を遣わず言いたいことは素直に言えて、

お互いの意見を尊重して、

笑いの絶えない家庭を築きたいと思った。

 

だから、結婚するなら、気さくで面白い男性が良いと思った。

 

お酒もタバコもギャンブルも全然OK。

遊び心を持っていて、

人生をとても楽しんでいて、

自分の家庭を好きでいてくれる人。

よくしゃべる人がいい。

私をいっぱい笑わせてくれて、

自分の子どもを心から愛してくれる人。

 

今の夫はまさにその条件を満たす人で、とにかく面白い人だ。

面白い人の何が最高かって、

お金を使わなくても、

その人と一緒に家にいるだけで毎日が楽しい。

 

時効警察」というドラマで、

夫を殺した妻の動機が「とにかく話がつまらない」だったという事件があって、

まあ殺すくらいなら別れればいい話だけれど、

ちょっとだけ妻の気持ちが分かるなあと思ったことがある。

 

夫とお付き合いする前、婚活していたときに、

縁あって真面目で誠実そうな男性を紹介されたこともあった。

とても優しそうで、お酒も飲まないし、

もちろんタバコもギャンブルもしないと言っていた。

「ああ、結婚するならこういう人がいいんだろうなあ」と、

頭では分かっているのに、

心はまったく動かなくて、結局お断りしてしまった。

 

夫はお酒もタバコもギャンブルも大好きだけど、

私を大切にしてくれていることを態度で示してくれるし、よくしゃべる。

言葉選びのセンスが私のツボなのか、

ちょっとした会話の中でも随分と私を笑わせてくれる。

だから、私は願った通りの男性と結婚できたたようだ。

結婚して何かを我慢したり制限したりするといったこともなく、

独身時代と同じようにやりたいことができているから、

結婚生活のストレスもあまりない。

まだ子どもがいないから自由でいられるだけなのかもしれないが、

今のところ結婚して随分と幸せだ。

 

一般的に、お酒はまだいいとして、

タバコとギャンブルはやらない男性が好まれる。

 

たしかにお金がかかるから、やらないに越したことはない。

だけど、一般的な価値観など何の当てにもならない。

少なくとも私はそうだった。

 

寡黙で仕事人間な父とお見合いで結婚した母に対抗するように、

私は、よくしゃべる仕事より遊びが好きな楽しい人と恋愛して結婚したけれど、

私も年を重ねて、

父や母が、私をいつだって大事に思ってくれていたことは

理解できるようになった。

両親を反面教師にしてしまった感は否めないが、

きっと両親は私が幸せであればいいと思ってくれているだろう。

だから私は、これからも自分の幸せを貪欲に探っていきたい。

 

 

 

 

宗教の勧誘

大学2年生になる直前の春休み、私はかなり落ち込んでいた。

何もかもに自信を失くしていた。

 

まず、大学に入った途端、

不規則な生活に溺れて体重が10キロ以上増えてしまい、

鏡を見るのも嫌になった。

 

そして、入学後に、大学デビューを目論んで入ったサークルに馴染めなさすぎて、

結局1年で辞めてしまった。

 

大学の授業も適当に受けていて、

レポートをコピペして出したら一発でバレて、

教授に呼び出されてこっぴどく叱られて、

大学の事務室で大泣きしながら謝った(自業自得)。

 

英語が得意だと思っていたけれど、TOEICの点数が全く伸びず、

英語の授業も追試となり、

プライドがずたずた(全く勉強してなかったから、これも自業自得)。

 

女子大生は黙っていてもモテると思っていたのに、

太ってからより卑屈になったこともあり、

全くモテず、彼氏ができない(これはきっと性格の問題だからやっぱり自業自得)。

 

自業自得とはいえ、これらのことが重なって、

私は何にも希望の持てない春休みを過ごしていた。

 

そんな私に、ある日声をかけてくれたのが、ルミさん(仮名)だった。

 

ルミさんは、みんなで集まってお菓子を食べながら、

心理学について勉強するみたいな集まりがあるから来ないか、

みたいなことを言ったと思う(詳しい誘い文句は覚えていない)。

心理学は興味があったし、無料だというので、

一度顔を出してみてもいいかなと思った。

 

そして、何となく私はその集まりに参加するようになった。

最初に少し心理学の講義などを聞いて勉強した後、

ルミさんや他のメンバーとお茶しながら話をした。

 

1回1時間くらいの時間だったし、

何より新参者の私にみんな親切で、

サークルを辞めて友達も少なかった私は、

居場所ができたような気になっていた。

 

時々お泊りイベントのようなこともあって、

それも学生時代の合宿みたいでとても楽しかったことを覚えている。

 

そうやって数ヶ月ほど過ぎたとき、

とうとう、私は真実を告げられたのだった。

 

その時の私は「まあ、そりゃそうか」という感じで、

それほど驚いたりはしなかった。

 

今まで頂いたお茶やお菓子や、講義の費用など、

全て無料というのは親切すぎると思ったし、

はっきりそうとは確信が持てなかったけれど、

何となく、宗教ぽいなと思うようなことがあったから。

 

でも、他に居場所もなくて、

宗教を信じるふりをしてそこに居続けようかとも思ったけれど、

やはり限界がある。

それに、布教活動もしなくてはならないだろうし、

信じてもいない宗教に根気強く誰かを誘うガッツなど、

私は当然持ち合わせていなかった。

 

それで、仲良くしてもらった分ルミさんには申し訳ない気持ちもあったが、

音信不通という形で、

私は当然、その集団からフェードアウトしたのだった。

 

連絡先を交換した人からは何度か連絡が来たし、

ルミさんからは手書きの葉書が来たりもした。

だけど、しばらく放っておいたら、自然と連絡も来なくなった。

 

そんな事があったけれど、

私は今でも、ルミさんのことを悪くは思っていない。

 

自業自得とはいえ、何もかも上手くいかなくて、

理想とあまりにもかけ離れた生活に嫌気が差していた当時の私にとって、

どんな目的があったにしろ、

明るく声を掛けてくれたルミさんに、

少なからず心が救われたことは確かだった。

 

宗教の勧誘という目的がなければ、

ルミさんは私に声を掛けたりすることはなかったわけで、

そういう意味では、私は一瞬だけ、

宗教に救われたのかもしれなかった。

 

ルミさんの一件で、宗教に対する考え方も、少しだけ変わった。

無理に勧誘したり、家族や他人を巻き込むのは絶対に良くないけれど、

宗教によってその人の人生が格段に良くなったのなら、

その人にとっては、宗教は正解だったのかもしれない。

 

でも、誰かにとっての正解が、他の人にとっての正解とは限らない。

私にとっての正解は何なのだろう。

今でも分からないから、ずっと模索している。